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by oyakatu01
| 2009-06-15 22:08
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by oyakatu01
| 2009-06-15 16:50
広島の存在意義 2009年06月14日 遊覧船に乗りながら思ったのは、富める者と貧する者の格差である。 無論、アヌシーは高級リゾート地である。 街の中心で貧する者は殆ど見ることはない。 (町外れに行けば結構いたが、旅行者の多くは知らないだろう) ただ、誤解されてはいけないので一言加えると 私が想った格差とは、ここだけの話ではなく地球的なものだと考えて欲しい。 若い頃、ヨーロッパ、アメリカを中心に随分歩き回った。 その頃はどちらかといえば、中の中から下の上あたりの町が好きだった。 アヌシーのような上の上という街に近づくことはなかった。 (金がなく近づけなかったのだが) 今回、ここを訪れ、高級とは何なのか、リゾートというものが、 どういうものなのか思い知った。 そこで想ったのだ。そりゃないだろうと・・・・ 世界各地ではこの瞬間も栄養失調や疫病で死ぬ人間が後を立たない。 機内で読んだ本から、生き延びるためにゲリラに脅され 父親の腕をたたき切った少年の憂いを知った。 世界中が多くの恐怖と悲しみの中にいるのに ここは別の惑星のように穏やかで平和で心地よい。 ここで世界を考えていたのでは、忍び寄る環境破壊もゲリラの銃声も 核戦争の恐怖に思いを向けることはないだろう。 来る日も来る日も、薄暗い部屋中で紙と鉛筆をもち作品に立ち向かっているのだ。 優秀な作品ができあがったときのご褒美として、ここがあるのだろう。 ただ作品にインスピレーションを与える場としては、俄然、広島だと信じる。 やはり一人でも多くの作家に広島にきていただきヒロシマに触れて頂くことこそ、 広島のディーテン ディゾールなのだと改めて思う。 #
by oyakatu01
| 2009-06-14 13:14
映画祭を視察するFDの後ろを歩いていると オーバーでなく100mとして真直ぐ歩くことができない。 次々と声がかかるからだ。その傾向は週末に近づくにつれ顕著である。 前にも書いたが、これでなくては国際的映画際のディレクターは務まらないんだと強く感じる。 そんな中、私だってボランティアであったりスタッフであったりと フェスティバルには20年以上関わってきた。 顔を見ると「あっあの人だ」と思う人も何人かはいた。 そんな私だがフェスティバルブースに座っていて2人の人から声を変えかけられた。 一人は外人で「君には広島でお世話になった」旨のことを言われたが 正直、言って私はその人の顔を思い出すことは出来なかった。(スイマセン) 二人目は日本人で以前、フィルムマーケットを立ち上げたとき 協力的に参加していただいた九州 大学の松隈さんだった。 何でも教え子が学生部門でインコンペしたから、それを利用し来られたらしい。 遠く異国の地で名前を呼ばれるなど夢にも思っていなかっただけに、感激である。 私も国際的になったものだ。すべては映画祭のおかげ感謝しよう。 #
by oyakatu01
| 2009-06-13 23:12
フィルムマーケットを見たいと思ったのは 映画祭に金が回る仕組みが必要だろうと思ったからだ。 広島でも前々回で試行的におこない、前回は本格的に行った。 ただマーケットといっても、ここや東京のような企業向けのものではなく 学生向けのマーケットでリクルートの場であったり、学校紹介の場である。 似て非なるもの、比較するには違いすぎるのだが、まあ見ておかねばなるまい。 ということで、今回の視察の目玉として据えていたのだが MIFAに参加するパスが8万円近くいるという。 1日のワンデイーパスでも2万円弱というから手が出ない。 まあ、60ユーロのパスでも玄関までは入れるようなので、それで我慢することなった。 MIFAの会場までは映画祭の主会場からシャトルバスが出ている。 そのバスで5分ぐらいのところだが、ついてビックリだ。 まるで宮殿、アヌシー城より3倍、立派である。 会場の入口もあでやかに飾られ、中も多くの人が行き来し いかにもフェスティバルという感じだ。 フェスティバルとマーケットのどちらに力を入れているか一目瞭然である。 私が入れるのは受付のところまで、 商談が行われるブースは入口からしか、かいま見ることしかできない。 諦め、その日行われるフィンランドのパーティー向かっていたのだが ちょうど裏口にあたる部分が見え、そこから頻繁に人が出入りしている。 そこには、私よう分からんけど、いろと言われたからいます的な スタッフがポーっと立っている。 私もイベント生活は長いのだ。これは入れると直感的に思い、 次の瞬間、軽く会釈一発で中に入ることに成功した。(これは気合の問題です) 詳しくは写真にて、改めて紹介するが、中は特設テントとなっており巨大なものだ。 広さは、ビッグアリーナの体育館といったところか。 それをテントで作ってしまうのだから凄い。 中のしつらえは東京アニメフェアーとさして代わりないように思えたが、 出展会社の種類は幾分、アヌシーの方が多いように思えた。 東京アニメはバンダイなど大手が巨大なスペースを確保していたため、 小さな企業は目立たないからだろうか。 いずれにしろ人は多く、映画関係者だが配給者だかしらないが 盛んに情報交換をしていた。まさにこれがマーケットであると感じる。 広島もこれをと思い提案したのが10年以上前だった。 そのときは黙殺されたが、その後、東京が同じこと、つまり東京アニメフェアーを始めた。 FDいわくアヌシーの衰退が始まったのが、その頃だったというから マーケットの活性化は、ある意味、時代の流れだったのだろう。 その波に乗れなかったことを悔やんでもしかたないし、それに 二つのマーケットを見るにつけ、これと同じことは広島にはムリだとの思いは強まる。 東京はその絶対的な人口とそこを拠点にする企業の数がマーケットを可能にしている。 巨大マーケットに地方都市が対抗するのはどう考えても無理だが、 もしかしたら、パリから新幹線で4時間、5万人の地方都市のアヌシーにあると思ったのだ。 しかし、ここには広島にないものが二つあった。 一つはアニメーション文化であり、 もう一つは世界中の金持ちをひきつけるリゾート地としての魅力である。 これらに対抗するのは、いうところの”ヒロシマ”しかないのかという気がする。 #
by oyakatu01
| 2009-06-13 20:07
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